8.不完全な自分を楽しみたい
春のせいか、コロナ自粛の緩和のせいか、友人と会う機会が増えてきました。
バリバリと職場で働き、職場では完璧を求められ、また相手にもそれに見合うものを求め、職業人として邁進していく友人たち。
そんな切磋琢磨する生活からドロップアウトしてしまった私は、以前は、友人達の話を聞きに行くたびに、いくらか惨めな気持ちになったものですが、
今は、私もまた満ち足りた気持ちで友人の話を聞けるようになりました。
いまだに被害妄想(被害念慮)がある私。
うまくいかないこと、つまずくことは他の人より多いかもしれませんが、今はそんな不完全な自分の隙間を楽しみたいとそんなことを思うようになってきました。
できないことはあっていい。
完璧な自分じゃなくていい。完璧な自分じゃなくても、毎日は充分楽しめる。
もしやりたいことがあって、それが今できていないとしても、
そんな自分を責めなくていい。
今、できなくても、挑戦していけばできるようになるかもしれないし、
あるいは工夫していけばそのうち別な形で必ず達成できるようになる。
自分が不完全なのは、できるようになる過程を楽しむため。
自分が不完全なのは、完ぺきではない人間に与えられた余白の部分で遊ぶため。
そんなふうに思うようになってから、不完全な自分が随分好きになりましたし、他人の不完全さも気にならなくなってきました。
20代の頃は、頑張りたい、完ぺきじゃないと、立派な人間にならないとダメなんだ、そんなことを思って生きてきたように思います。
30代になってもいまだ立派な人間になりたいと思う私もいるのですが、
ただ、今の私が思う立派な人間像は、自他ともに完璧だ褒められるような人間じゃなくていいんです。仕事も、友人関係も、家庭も、趣味も、自分の人生も―遊ぶように、楽しんでいけるいつも上機嫌な遊び人が私のこっそり目指している立派な人間で、この目標を掲げている今の方が、私はとても楽しいんですよ。
書いた日の良かったこと
・桜を見に行けたこと
・写真を現像できたこと
・手紙が書けたこと
書いた日の褒めること
・出かける前に洗濯物をまわしたこと
ここまで読んでくださってありがとうございます!