9. 意味付けはポジティブに
慌ただしい毎日が繰り広げられる4月。
それでも好きな事を楽しんでいる私は、それなりに幸せなのかもしれません。
友人がいろいろあって職場を辞めざるおえない状況になり、退職する事になったのですが、
メンタルヘルス持ちでも非常にポジティブな友人は、
「前から転職しようと思ってたからいい機会になって良かった。しばらくは資格の勉強したり、好きなことしようと思う!」
と、とても前向きな事を言っていました。
同じようなケースでも、例えば統合失調症で被害妄想の症状が出てる人は、
「何者かの策略によって強制的に仕事を奪われてしまった。」
と、考えるかもしれません。
病気の症状だから、と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、それにしても意味づけは何事もポジティブな方がいいような気がします。
私は被害妄想(被害念慮)の症状がなかなか抜けなくて、何かあった時、ネガティブな考えが浮かぶこともままあるのですが、一瞬その考えが浮かぶことを許して、
「でも、きっとこう(ポジティブな考え)だよね、だから大丈夫」
と捉えなおすようにしています。
物事には見方によって明るい面とネガティブな面、両方がありますよね。
たとえ辛い出来事でも、意味付けはいい方向にできることが多い。
被害妄想やネガティブな思考につられて暗い考えに引きずられてしまう気持ちは重々わかるけれど、それでも物事の意味付けは前向きにしていった方が、ずっと足取り軽く進んでいけるような気がします。
なかなか難しいんですけどね。
書いた日の良かったこと
昔の知り合いに久しぶりに会えること
冷凍食品を送ってもらえること
ひさしぶりにゆっくりした朝を過ごせたこと
書いた日の褒めること
洗濯物を2回回したこと
ここまで読んでくださってありがとうございます!
2-2203 一年の目標を振り返る(3月)
4月になって、いくぶんたちました。
4月から仕事場が変わり、心理の通信大学にも通いだした私。
いろいろと新しいことが山積みでなかなか新生活になれない毎日ですが、とにもかくにも振り返りをしたいとおもいます。
大目標:いつも上機嫌でいる(笑顔でいる)
3月目標:今考えてもどうしようもない事はそれ以上考えない
達成度20%(1月)→70%(2月)→80%(3月)
前半は転職の不安でメンタルが落ちる部分もあったのですが、「考えてもしょうがないことは考えないようにしよう」を比較的実践でき、後半は楽しく過ごすことが出来ました。
4月目標:今考えてもどうしようもない事はそれ以上考えない(継続)
小目標:心理学の勉強をする
→3月目標:休日は心理学の本を少しでも読んでみる。心理学ノートはできるだけ一日一回開く。
達成度30%(1月)→50%(2月)→40%(3月)
調子のいい時は心理学ノートあまり見ていませんでした^^;
4月目標:心理学の授業をうける
小目標:家庭内でホワイトジョークを言う
→3月目標:ネガティブな発言はなるべく控える
達成度30%(1月)→40%(2月)→70%(3月)
これはまぁまぁできた気がします。私は被害妄想があるのですが、実際自分の中で被害妄想じみた考えが浮かんできても、旦那や友人に話すことは随分少なくなってきました。自分の中で「気にしてもしゃーない」と割り切るのが上手くなってきた気がします。
3月は初旬わりとメンタル不安定で大変でしたが、うまく乗り切れたような気がします。
4月もストレスがかかることが予想されるので、うまく乗り切っていけたらと思います。
以上、誰得なふりかえり記事でした。
書いた日の良かったこと
・朝元気がなくてぼーっとしていたら友人から電話がかかってきたこと
・頼まれていたお使いをすませたこと
・りんご紅茶入浴剤を手に入れたこと
書いた日の褒めること
・思ったよりつまらない教科書を強靭な精神力で読み進めたこと
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
8.不完全な自分を楽しみたい
春のせいか、コロナ自粛の緩和のせいか、友人と会う機会が増えてきました。
バリバリと職場で働き、職場では完璧を求められ、また相手にもそれに見合うものを求め、職業人として邁進していく友人たち。
そんな切磋琢磨する生活からドロップアウトしてしまった私は、以前は、友人達の話を聞きに行くたびに、いくらか惨めな気持ちになったものですが、
今は、私もまた満ち足りた気持ちで友人の話を聞けるようになりました。
いまだに被害妄想(被害念慮)がある私。
うまくいかないこと、つまずくことは他の人より多いかもしれませんが、今はそんな不完全な自分の隙間を楽しみたいとそんなことを思うようになってきました。
できないことはあっていい。
完璧な自分じゃなくていい。完璧な自分じゃなくても、毎日は充分楽しめる。
もしやりたいことがあって、それが今できていないとしても、
そんな自分を責めなくていい。
今、できなくても、挑戦していけばできるようになるかもしれないし、
あるいは工夫していけばそのうち別な形で必ず達成できるようになる。
自分が不完全なのは、できるようになる過程を楽しむため。
自分が不完全なのは、完ぺきではない人間に与えられた余白の部分で遊ぶため。
そんなふうに思うようになってから、不完全な自分が随分好きになりましたし、他人の不完全さも気にならなくなってきました。
20代の頃は、頑張りたい、完ぺきじゃないと、立派な人間にならないとダメなんだ、そんなことを思って生きてきたように思います。
30代になってもいまだ立派な人間になりたいと思う私もいるのですが、
ただ、今の私が思う立派な人間像は、自他ともに完璧だ褒められるような人間じゃなくていいんです。仕事も、友人関係も、家庭も、趣味も、自分の人生も―遊ぶように、楽しんでいけるいつも上機嫌な遊び人が私のこっそり目指している立派な人間で、この目標を掲げている今の方が、私はとても楽しいんですよ。
書いた日の良かったこと
・桜を見に行けたこと
・写真を現像できたこと
・手紙が書けたこと
書いた日の褒めること
・出かける前に洗濯物をまわしたこと
ここまで読んでくださってありがとうございます!
7.言葉は魔法だと思う
3月、忙しく変化を感じる毎日の中で、それでも思ったより好調に過ごせています。
もしかしたら、これはおまじないのおかげでは?
と思うことも、あったり。
1月後半くらいからだったでしょうか。
朝起きたばかりなのに身体が疲れて憂鬱な出勤日。コーヒーを口に流し込む食卓で、あるいは通勤の車の中で、
「よかった、よかった、よかった…」
と、思い出しては、繰り返し繰り返し、唱えてみています。
はじめは、
「何が、『よかった』んだ、全然良くないよ…」
なんて思いながら唱えていたのですが、続けていくうちに、『よかった』と唱えながら、本当に良かったことを見つけられるようになりました。
「よかった、よかった、よかった…昨日部屋の掃除をしておいてよかった、朝のコーヒーが気持ちよく飲める」
「よかった、よかった、よかった…今日は寒くて良かった、あのお気に入りのニット着ていこう。」
私はこのおまじないの効果、かなり影響されやすい性質のようで、最近に至ってはよかったとつぶやいていないときでも、よかったととらえられることが増えてきました。
傘がないのに雨が降ってきた―良かった、ちょうど用事を終えたから、あとは帰るだけだもんな。
今日は疲れているのに残業になりそう―良かった、ちょうど欲しかった趣味の道具、今日の残業代で買えるかも。
「よかった」という言葉にこだわる必要はないらしく、「ついてる」でも「最高!」でも「ラッキー」でもなんでもいいみたいです。
ただ繰り返しその言葉を唱えていると、「よかった回路」が脳内に出来てきて、ほんとうに良かったことを探し始めるみたいです。
2か月ほど続けてみて、個人的な効果が絶大なので、「よかった」以外の言葉も欲張って、口にしはじめている自分がいます。
私はおひさまみたいな人間になりたい、と思っているので、「陽気陽気陽気…」「笑顔笑顔笑顔…」と繰り返し、唱えたり。
心の中にあるコップに、変わりたい言葉をたくさん入れて続けていくと、次第にそういう心に変容していくらしいと耳にして、毎朝のおまじないの言葉に加えて唱えてみています。
―もしかしたら、その逆もしかりなのかも。
ネガティブな言葉をシャワーのようにあびていると、影響されやすい人はそういう心になってしまうのかもしれませんね…。
年末、一番初めのブログにも書きましたが、ほんとうに言葉は魔法なのだと思います。
いい方向にも、悪い方向にも効く。
どうせなら、良い方向に利用して、いい人生を送りたいものだとそんなことを思います。
書いた日のよかったこと
・友達に手紙がかけたこと
・趣味の道具が思ったよりはやく届いたこと
・この後特に予定がなく、やりたいことがやれること
書いた日の褒めること
・趣味の作業を進めること
ここまで読んでくださってありがとうございます。
2-2202 一年の目標を振り返る(2月)
3月も中旬に差し掛かりましたね。全然記事をかかないまま、月日が経ってしまっていますが、とにもかくにも2月の振り返りをしたいと思います。
大目標:いつも上機嫌でいる(笑顔でいる)
2月目標:朝一番のあいさつをこちらから明るい声でする。親切を心掛ける。
達成度20%(1月)→70%(2月)
わりと落ち着いて過ごせました。ちょっとメンタルが落ちてきたときは脳内友達に頼り、もっとメンタルが落ちるとリアル友人や家族を頼って、わりと引きずらずに気持ちを切り替えることが出来ました。
朝一の挨拶は元気じゃなかったかも。親切はちょっと心掛けたけどどうかなぁ。
→3月目標:今考えてもどうしようもない事はそれ以上考えない
小目標:毎日趣味を楽しむ
→2月目標:趣味を楽しむ。運動ゲームで気分転換を試みる
達成度60%(1月)→30%(2月)
結構無理でした。忙しい日が続くと、趣味や運動などやる元気がなく…今月もあわただしい日が続くため、ちょっと無理なのでこの小目標は諦めます(意志薄弱)。
小目標:心理学の勉強をする
→2月目標:休日は心理学の本を少しでも読んでみる。心理学ノートはできるだけ一日一回開く。
達成度30%(1月)→50%(2月)
心理学ノートはだいたい毎日見ていましたが、心理学の本はあまり読めていないかも^^;この目標は継続したいと思います。
→3月目標:休日は心理学の本を少しでも読んでみる。心理学ノートはできるだけ一日一回開く。
小目標:家庭内でホワイトジョークを言う
2月目標:ブラックジョークはなるべく言わないよう心掛ける。
達成度30%(1月)→40%(2月)
どうしてもブラックジョークの方がウケがいいので言ってしまいます…一応、冗談めいていうとか、いろいろ努力したのですが。
ネガティブな発言が心理学的に良くない、と聞いてこの目標を打ち立てたのですが、「ブラックジョーク、ウケてるなら別に控えなくてもよいのでは?」という発想も生じており、3月はちょっと趣向を変えた目標にしようと思います。
→3月目標:ネガティブな発言はなるべく控える
3月は結構不安定になることも多く、2月よりメンタル不安定だなと思うことが多いのですが、後半上手くやっていきたいです。
4月からもいろいろ変化がありそうでストレスがかかることが予想されますが、うまくやっていきたい…!
書いた日の良かったこと
趣味のものつくり作業が進んだこと
お散歩日和で春を感じられたこと
長いもピザがおいしかったこと
書いた日の褒めること
最近落ち込んでいたけど、気持ちを立て直したこと
ここまで読んでくださってありがとうございます。
6. 大切な友人の一人は自分―かもしれない
全然ブログを更新しないまま、あっという間に2月が終わりそうです。
光陰矢のごとし、なんていうけれど、本当に年を取るごとに日がたつのが早いです―もう年が明けて2か月経つとは。
まぁまぁ病気だと思われるかもしれませんが、
最近、困ることがあったり、疲れ切ったりすることがあると、疲れ切った気持ちのまま、脳内のもう一人の自分に語り掛けることがあります。
「ねぇ、こんなことがあってさ。もうたまんないよ。」
そうすると、脳内のもう一人の自分は、とびきり落ち着いた口調で、
「それは大変だね。だけれど、辛い時はこう考えてみたらどう?」
と前向きな考え方や温かい言葉を返してくれたりする。
セルフコンパッションというものに、中らずと雖も遠からず、的な仕組みだと思うのですが、このやりとりがなかなかどうして効果がある。
自分の中に、自分のことをとても大切に想ってくれるもう一人の自分がいて、
大切な友人に接するかのように、客観的に、明るく前向きな言葉をかけてくれるような感覚。
はじめは、「友人に対するような感覚で、自分に対して肯定的な言葉をかけてみよう」と聞きかじった言葉をそのまま実践してみたのですが、自分にはあっていたようで、
今までだったらネガティブな思考回路にとらわれてしまったであろう状況でも、常日頃の自分では思い出せなかったような前向きな考え方を、もう一人の自分から聞くことができたりする。
結果的に、一人でメンタル的な問題を解決できることが増えてきました。
統合失調症の妄想だと言われてしまえば、それまでですが、
明るく、前向きな友人が一人増えたような感覚で、なにやら面白く、またそんな自分が好ましいような気がしています。
―この友人には、いつでもどこでも、気兼ねなく連絡が取れますしね。
今月頭に書いた記事のなかで、
「自分を元気付けられる最高のパートナーが、自分自身だったら、こんなに心強い事はない。」
と書いていましたが、次第にそんな自分に近づけてきた変化が自分のなかで好ましいものだったりするんです。
1月2月は他にも、心理学的によいとされることを可能な限り取り入れてみたりしていて、また日常の事とまじえつつ、ちょっとずつ書いていけたらよいなと思っています。
良かったこと
・通販で買った趣味の道具が予定より早めに届いたこと
・買い忘れた趣味の道具を出かけた同居人に買ってきてもらえること
・昼食に買ったチキン竜田弁当がめちゃめちゃ美味しかったこと
褒めること
・久しぶりにブログを更新できたこと
ここまで読んでくださってありがとうございます。
5.これは縁だと思う時もある
私はどちらかというとしょうもないような―日陰で間延びしたスプラウトみたいな人間なので、
「どうしてこんな状況になっちゃったかなぁ。」
なんて、頭を抱えたくなる状況に陥ることが、ままあります。
そんな時、自分の不幸をどこまでも嘆きたくなる気持ちを感じながら、
一方で、
「でも....これは『縁起』なのだろうな。『縁』なら、ある意味仕方ない。」
とよくわからない考えが頭をかすめることがあって、このよくわからない考えに救われることも、ままあるんです。
盆や正月、実家に帰るとだいたい父はNHKの「こころの時代」という番組の録画したものを見ているのですが、その中で、
この世は空であって、縁起によって成り立っている
と言っていてたのを記憶しています、
「縁起」とは、
すべてに実体はなく、「因(種となる要素)」と「縁(種を育む要素)」の二つが作用して、結果が生まれてくる、という考え方
―だと認識しています。
なにか、うまくいかないことが起きたとき、
私の行為だけが結果を生んだわけでも、
周りの環境や状況だけが結果を呼び込んだわけでもない。
私を取り巻くたくさんの物事から派生した「縁起」だから仕方ない―じゃぁ、この状況をよくするために私にできることはなんだろう?
なんて、ちょっとしゃにかまえた見方ができる瞬間がある。
自分の行為だけでなく、周囲の外的要因だけでなく、さまざまな要素が折り重なって、今の現実が目の前にあるという考え方は
「まぁ、これはご縁だから」
という一言に集約されるような気がしており、
その一言を自分で自分にかけられると、自分が、誰かが、と前のめりになって責めたり落ち込んだりし始める自分自身に、ほっと一息つけさせてくれるような―そんな言葉なような気がしています。
書いた日の良かったこと
・ちょっと怖いと思っていた用事をすませられたこと
・忙しくなりそうな2月の予定が思ったより立て込まなそうなこと
・旦那にあげるお菓子を用意したこと
書いた日の褒めること
・翌日業者さんが家に来るので、部屋をそれなりに清掃すること
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!