5.これは縁だと思う時もある
私はどちらかというとしょうもないような―日陰で間延びしたスプラウトみたいな人間なので、
「どうしてこんな状況になっちゃったかなぁ。」
なんて、頭を抱えたくなる状況に陥ることが、ままあります。
そんな時、自分の不幸をどこまでも嘆きたくなる気持ちを感じながら、
一方で、
「でも....これは『縁起』なのだろうな。『縁』なら、ある意味仕方ない。」
とよくわからない考えが頭をかすめることがあって、このよくわからない考えに救われることも、ままあるんです。
盆や正月、実家に帰るとだいたい父はNHKの「こころの時代」という番組の録画したものを見ているのですが、その中で、
この世は空であって、縁起によって成り立っている
と言っていてたのを記憶しています、
「縁起」とは、
すべてに実体はなく、「因(種となる要素)」と「縁(種を育む要素)」の二つが作用して、結果が生まれてくる、という考え方
―だと認識しています。
なにか、うまくいかないことが起きたとき、
私の行為だけが結果を生んだわけでも、
周りの環境や状況だけが結果を呼び込んだわけでもない。
私を取り巻くたくさんの物事から派生した「縁起」だから仕方ない―じゃぁ、この状況をよくするために私にできることはなんだろう?
なんて、ちょっとしゃにかまえた見方ができる瞬間がある。
自分の行為だけでなく、周囲の外的要因だけでなく、さまざまな要素が折り重なって、今の現実が目の前にあるという考え方は
「まぁ、これはご縁だから」
という一言に集約されるような気がしており、
その一言を自分で自分にかけられると、自分が、誰かが、と前のめりになって責めたり落ち込んだりし始める自分自身に、ほっと一息つけさせてくれるような―そんな言葉なような気がしています。
書いた日の良かったこと
・ちょっと怖いと思っていた用事をすませられたこと
・忙しくなりそうな2月の予定が思ったより立て込まなそうなこと
・旦那にあげるお菓子を用意したこと
書いた日の褒めること
・翌日業者さんが家に来るので、部屋をそれなりに清掃すること
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!